青葉山のヒメギフチョウ

青葉山でヒメギフチョウの研究をしたのは2005年のことである。4月初めのことだったが、とある森の中で良好な生息地を発見し、この蝶の好む生息環境や植生について詳しく調査した。そこでは多い時に10個体ほども飛び回っていたが、カタクリの咲く春の疎林で美しいこの蝶の生態を心ゆくまで垣間見ることができたのは、私の長い自然観察の履歴の中でも白眉のものである。

当時、青葉山のヒメギフチョウは決して珍しい蝶ではなく、青葉山のかなりの範囲で生息地を見つけている。これだけ個体数が多ければ、しばらくは研究ができるだろうと思ったが、翌年になると状況は一変した。一気に個体数が減少したのである。それもいろいろな生息地で一気にである。そして2007年になると、さらに状況は悪化した。2005年に見つけた10か所ほどの生息地をすべて歩き回っても、目撃できたのは僅かに数個体という有様だった。そして翌年にはとうとう1個体も見つけることができなかった。この急激な個体数の減少原因については想像の域を出ないが、どの場所でも一気にいなくなったことから、2005年から2006年にかけて、越冬時の気象条件や天敵生物による致死率がマイナスに大きく働いたことが考えられる。

それでもどこかに生き延びているに違いないと、毎年春になると青葉山を歩き回ったが、その願いは何年もむなしく終わった。この期に及んで、「青葉山では絶滅したのではないだろうか」と思うようになった。

ところがである。2017年4月17日、私はだめもとで生息地を訪れていた。林床のカタクリは満開で、もし生き残っていれば飛んでいてもおかしくないが、どこにも姿はない。「やっぱり、だめか」。そう結論づけて現場を立ち去ろうとした時、黄色い塊が笹原ごしにこちらに飛んでくるのが見えた。それは間違いようのないヒメギフチョウで、翌日にはさらに数個体を確認した。じつに10年ぶりの再会だ。青葉山のヒメギフチョウは、絶滅していなかったのである。

この時の気持ちは嬉しさよりも、「えっ、まだいたのか。どうして?」というものだった。2008年以降、この蝶がいそうな場所は徹底的に調査したので、なぜ目の前を飛んでいるのか、すぐには現実を理解できなかった。恐らく、私の知らない生息地がどこかにあり、そこで細々と営みを続けていたのだろうが、とにかく生き残っていたことは間違いない。

こうして私は青葉山のヒメギフチョウに再開することができた。これはこれで喜ばしいことだが、しかし、翌年以降、ふたたびこの蝶は私の前から姿を消した。果たしてヒメギフチョウは今でも青葉山のどこかにいるのだろうか。それとも2017年に再会した個体が青葉山の最後のヒメギフチョウだったのだろうか。機会があればまた調べてみたいと思っている。

青葉山のヒメギフチョウ(2007年4月7日)

                                                                                     © 昆野安彦 山の博物記